クダショウの話
昭和二十年頃まで、遠山地方の人々は、クダショウがいて、にんげんにとりつくと信じておりました。
これにとりつかれると、そのやまいはお医者さまではなおらないといい、それをおとすために、ねぎ
さまにたのんで、「送り立て」ということが、昔はさかんに行われておりました。
ところがとりついたクダショウが、どうしてもねぎさまだけでおちないときは、遠州の山住神社から
山犬さまをお借りしてきて、おがんだりしました。
遠山地方には昔から、なぜか理由はわかりませんが、クダショウ持ちという家がありました。
この家からよめさんや、おむこさんをもらうと、家にすんでいるクダショウが、七十五ひきもついて
くるといわれて、たいへんおそれられておりました。
ところで目にも見えないクダショウが、にんげんにとりついたようすですが、まず高い熱が出て
「うわごと」をくり返すようになります。
そして「おれはどこそこの家のクダショウだが、お前がいじわるをするのでとりついてやった」とか、
いろいろのことをしゃべるそうです。
ところが昔の人の話しによると、それがよく当たったといっております。
そんな馬鹿なことがと思うでしょうが、昔の人はやまいや不幸のもとは、クダショウのしわざと思って
いました。
だから病むと、日ごろ思っていたことや、たまっていたうっぷんが、高い熱にうなされて、こんなかたちで
あらわれたのではないでしょうか。
戦後においては、まったく迷信となったクダショウのお話ですが、よくしらべてみますと、ふしぎなこと
を発見いたします。
理由もないのに、クダショウ持ちだとされた家に共通するものがいくつかあります。
それは、一代でお金をためた家だとか、よそから来て住みついた人、あまり人からよくいわれていない家
などがあげられます。
ですから、昔から家がらがよいといわれている、旧家とよばれた家には、それがほとんどなかったことです。
クダショウという、目にも見えない、えたいの知れない動物が、谷間のむらに引きおこした、さまざまなお
話は、たくさんのこっていますが、いまは遠い日のかたりぐさとされております。